ロックバンド「The Birthday」や「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)」のボーカル兼ギターのチバユウスケさんが2023年11月26日に亡くなったと報道がありました。
そんな中、元ミッシェルのチバユウスケさんの伝説の豪快エピソードが話題になっていますよね。
そこで今回は、元ミッシェルガンエレファントのチバユウスケの伝説や生い立ちや若い頃の豪快エピソードについて調査しました。是非最後までご覧ください。
ミッシェルガンエレファントのチバユウスケのプロフィール
名前: チバユウスケ
生年月日: 1968年7月10日
出身地: 神奈川県藤沢市
出身校: 明治学院大学経済学部卒業
事務所: base inc.TRIPPIN’ ELEPHANT RECORDS
担当楽器: ボーカル、ギター、ピアノ、タンバリン、ハーモニカ、マラカス、パーカッション
ミッシェルガンエレファントのチバユウスケさんは、1996年に「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)」のボーカル兼ギターでデビューし、2003年には解散しています。
また、2005年に「The Birthday」を結成していました。
チバユウスケさんといえば、「THE FIRST SLAM DUNK」のオープニング曲「LOVE ROCKETS」を担当したことで話題にもなりましたよね。
チバユウスケの生い立ち・若い頃のエピソード
生い立ち
チバユウスケさんの幼少期は、ヴァイオリン教室に通っていたそうです。しかし、2回に1回は逃走して厄介な生徒だったとのこと。練習が嫌いで逃げていたのかは不明ですが、発表会では日本武道館のステージに立つほど上達していたとか。
また、幼稚園から高校まではエスカレーター式で湘南学園に通っています。
高校時代は剣道部へ所属し、音楽へ興味がでたのもこの頃だったとか。高校時代から作詞をしていたそうですが、学校がバンド活動を禁止していたのでステージに上がったりはできなかったそうです。
幼少期からやんちゃで破天荒だったことがわかるエピソードですよね。しかし練習を逃走していたのに日本武道館に立っているというのが、既にスター性・才能があったのかもしれません。
アーティストになると日本武道館ステージに立つことを目標にする人が多い中、幼少期に達成していたチバユウスケさんの目標が何だったのか気になりますね。
チバユウスケの伝説エピソード
- 2003年6月27日のミュージックステーションの生放送でロシアの女性デュオ「t.A.T.u.」がドタキャンした際に、空いた穴を埋めてチバユウスケの属するミッシェルガンエレファントがパフォーマンス実施
- ビール大好きすぎて、缶ビールを1日1ダース飲んでいた時期があった
- 大学時代は酒のおつまみを買うお金がないため、マックのケチャップを食べていた
- インタビュー中に酔っぱらって寝てしまう。スタッフに起こされて発した言葉は「おかわり」
- The Bierthdayの楽曲「12月2日」の曲名は、スタジオ入り前日の12月2日に1日で書き上げたことが由来
- The Bierthdayの楽曲「KAMINARI TODAY」は新幹線の中で書いた
- エンジニアブーツで高尾山へ上った
- 2000年のフジロックフェスティバルで演奏後にギターを放り投げて破壊。修理に出した。
- 2003年のフジロックフェスティバルで自分の出番の前にスタッフの自転車を借りて散策。携帯不所持で迷子になって出番なのに見つからず大騒ぎに。
チバユウスケさんの伝説エピソードについて調査しました。
2003年のMステ(ミュージックステーション)の生放送を救ったことは有名ですよね。この時は、急遽だったため選曲・演奏・カメラのリハーサルは一切なしで歌ったそうです。
普通は念入りにリハーサルをやって演奏するようなので、突然のパフォーマンスで完璧にこなしたチバユウスケさんのミッシェルガンエレファントは伝説の放送回とも言われています。
不測の事態でも難なくこなすチバユウスケさんは、世界で活躍する一流アーティストであることを証明しましたよね。私もリアルタイムで放送を見ていたのでびっくりしたのを覚えています。
また、酒豪として有名なチバユウスケさんですが、1日1ダース飲んでいたというのはさすがに驚きですよね。このころは休肝日として、ビール3本だけにしていたそうです(笑)。
仕事にもアルコールが影響していろいろと迷惑かけており、破天荒なことが分かります。